ひさしぶりの生の演奏

 

 10月に入り久しぶりにホールでピアノの演奏を聴く機会がありました。

クラシックのコンサートは座席数に対して100%お客さんが席を使って良い、ということになりましたが、今回はもちろん一席は空けての着席となりました。

それにしてもウキウキするものです。目の前のステージにピアニストが登場し、今の音楽を直に聴くことができるのですから。

 この日はピアニスト永岡信幸さんの「ピアノをひくことをリストに学ぶ」というレクチャーコンサートでした。舞台にピアニストが立たれ私がまず驚いたのは、すらりとした長身で骨格が日本人離れして大きく、生前リストがこんな雰囲気の人だったのでは、と思われる容姿だったことです。ピアノを弾き始めると、その手の動きの美しいこと。

リストの曲と言うと(もちろん曲によりますが)譜面が真っ黒に見えるくらいに音符がいっぱい書かれていて、それらを音にするだけでも気の遠くなるような難しさだと思ってしまうのです。でも永岡さんの弾かれるリストは、そうしたテクニック的な難解さを華やかに披露する演奏ではなく、あのたくさんの音が音楽として語られ、様々な音色が鳴り響き、聴く人を音楽のうねりに引き込んでしまうような演奏だと思いました。

 演奏の合間にマイクを持ってお話になるときには、ハンガリー人のリストが日本語でお話をされているような錯覚がありました。いろいろな言葉の中に、あの難解な曲を真摯に受けとめ、書かれていることを忠実に再現しようという強い覚悟があらわれていることに、感銘を受けましました。

(2020年10月)


頑張ったー 小学1年生

 

一学期が終わりいよいよ明日から夏休み。

長かった梅雨が明け、お日様が「準備できました!」と言っているように、この数日でキラキラの夏空です。

 

ところで学校再開の6月は分散登校でスタート。その後給食が始まり、ほとんどの行事をカットしたこの一学期。まずは日々の体調管理を徹底しましょう、と毎日検温して親がハンコ押して、マスクして、手指の消毒して・・・どこのご家庭も朝のバタバタの時間、こうした風景が当たり前になっただろうと思います。

初めて学校生活に入る小学1年生にとっては、こうした状況の中、急速にいろんなことが変わり、同時に求められることも多くなり、思いをいっぱい抱えているだろうなあと思っています。

レッスンでは、こちらから聞かなくても、学校生活が楽しくて話したい人はいろいろ話すし、逆に、少し疲れていたり大変だったりすると、全く学校とは関係のない、自分の好きなことだけを話す人もいます。いずれにしても今年の1年生は心の内を良く言葉にしてくれて、私にとっても発見があります。

 

学校での集団生活に対して、ピアノは個人のお付き合いの場なので、私自身も心を開いて子どもたちの言葉に耳を傾けるひとときは大切だなあ、と改めて教えられています

いろんな話を聞いていると、自身がそのままを受け入れられていると感じる、安心な場を、子どもたちが必要としていることも良くわかります。

子ども達一人一人とささやかな信頼関係を築いているとき、やっぱり音楽やっていて良かったなあと思うのです。

 

社会生活を歩き始めたばかりの新一年生、一人一人に期待が膨らみます。

(2020年8月)


リモートレッスンを終えて

 

 6月に入り子どもたちが学校へ少しずつ通うことになりました。

うちの中学生二人も、行ったと思ったらすぐに帰ってきてしまうような短い時間ではあるけど、毎日決まった時間に登校する生活になりました。三か月間も学校を通う生活から離れていたせいか、家に帰ってくると「ああ、疲れた・・」と言って、ぼけーっと画面を眺めている時間がしばらくあります。緊張しているのでしょうね。

 

 学校の再開を受けて、今週はリモートレッスンを受けていた生徒さんが教室へ戻ってきました。久しぶりに直に会うと、身体が大きくなっているのはもちろんのこと、内面的な成長が驚くほど感じられ、子どもの伸びる力に感動する場面に出会えました。

 

リモートレッスンを振り返ってみると、画面を通すからこそ良いこともあったと思います。

ひとつは子どもたちがいつものお家の中なので、リラックスしていること。(リラックスしすぎて途中でおやつを食べに行ってしまう場面もありました。)また、かわいい弟や妹たちもカメラの前に来て顔を見せてくれたこと。普段なら私が鉛筆で書き込むことを、小学生たちは自分でどんどん楽譜へ書き込みできるようになったこと。

私もできるだけ無駄に言葉を発しないよう、わかりやすく表情豊かに、簡潔にまとめることに努めました。

 もちろん状況が悪くならないことを一番に願っていますが、もうひとつの手段があることに気が付いた経験はありがたいです。協力してくださった保護者のみなさん、ありがとうございました。

(2020年6月)


リモートレッスン

 

 この自粛生活のなか、悲しこと辛いこと、またやり場のない不安や心配。様々に見聞きしてきました。また普段なら考えないことも色々考えられる時でもありました。

 特に芸術の存在。予定されていた公演中止が長びき、再開が見通せずにいる演奏家の方々は復活できるのだろうか?舞台の裏で働いている人々はほとんどフリーランスの専門家だと聞いています。

指揮者の沼尻さんの言葉は胸に響きました。「文化や芸術は水道の蛇口ではない。いったん止めてしまうと、次にひねっても水が出ないこともある」と。

また舞台芸術に携わる人たちが「好き」と引き換えにそれぞれのクオリティーのものを提供する矜持と覚悟を持っている。「アリとキリギリス」ではバイオリンを弾いて暮らすキリギリスが働きもののアリに見捨てられますが、人を楽しませるための技術を獲得するキリギリスが費やした時間と労力にも、敬意が払われてもいいのでは。と結んでいる。

 

 現状を受け止め、そこからどう生きていくのか。「不要不急」という言葉が出てくる度に、ヒトの社会生活の営みをそんな安易な言葉でまとめるな!と心の中で怒っていました。怒っていてもしょうがないので、何か自分のできることを・・と考えていた時、リモートレッスンに出会いました。周りのピアノの先生は既に実践されていたので、そんなお話を参考にしながら、今月から希望者のみリモートレッスンを始めました。実際に同じ空間に居てレッスンすることとは違うと思うのですが、保護者様の協力を得ながら、なんとか試行錯誤で続けています。画面ならではの面白いことにも出くわすのですが、やっぱり実際に会いたいなあ、と思います。

(2020年5月)

 


レッスンができる有難さ

 

 今となっては、2/24のピアノ発表会が予定通りに全員の出席で行なえたことが奇跡的だった、と思えてしまうほどに・・2月末からあっという間に日常が変わってしまった。

発表会が終わってしばらくは、良い会だったな・・・という余韻の中に居たいものだが、その間を許されないような変化。

当たり前に思える日常がどんなにか有難いことなんだ、と、自覚せざる得ない変化。

 

 学校が休校になり、ピアノ教室はどうしたら良いのか考えました。心配はありましたが保護者の方々と相談した結果、レッスンはいつも通りに行うことにしました。手洗いと換気につとめることしかできないけど、今のところ一人を除きみなさん通っています。元気な顔に会えて本当に嬉しいです。

 

 ウイルスそのものよりも、この影響で社会で何が起きてどう動いていくのか。この変化がなんとも不気味に感じられますね、と、ある保護者様と話しました。

トイレットペーパーを余計に買い求める一人にならないよう、しっかりしないと!

(2020年3月)

 


最近感動したこと

 

 いよいよ第3回の発表会を10日後に控え、気持ちが盛り上がってきています。

なぜならこの数日間、お一人お一人の仕上がりの様子を見ながら前回発表会からの成長をひしひしと感じられるからです。

どの人にも一年の中にいろんな時期がありました。そうした変化を成長という言葉で置き換えることができると思うのですが、そこにある物語は決して楽しい事ばかりでもなく、ちょっと苦しいなあ、ということもありました。そんなこんなを乗り越えて舞台にたつ姿を想像すると本当に嬉しいです。(おそらく子どもたちはそんな感慨にふけることなんて全くないでしょうが・・・)

 プログラムに9組の親子連弾が入っています。ここに出てくださるお父さん、お母さんの姿勢にも胸を打つものがあります。みなさん幼少の頃ピアノを習った経験のある人ですが、意外にも「子どものときのピアノレッスンが嫌だった」と話す方が数人います。でも、子どもと一緒に弾きたい一心で懸命に時間をかけて練習し、聴くたびに上達してくるのです。

ただ達者に弾いているのとは違う熱量があって、近くで聴いているとその空気に感動します。

(2020年2月)

 


エンパシーについて

 

 最近とても話題になっている本から、エンパシーという言葉を学んだ。

 

 日々私はいろいろな人の中で生きている。ここで言ういろんな人とは互いに時間とともに信頼を築き、よく知る間柄のこと。だから何かあった時、自然に良いことも悲しいことも共感できる。この関係で互いに得る理解をシンパシーというらしい。

 エンパシーとシンパシー、言葉の響きが似ていて意味は全然違う。

エンパシーは「自分がその人だったらどうだろう、と想像し、そこにある感情や経験を分かち合う能力」だそうだ。ここで言うその人とは、日常接することのない顔の知らない人も含まれる。範囲がグーンと広がる。

本の中ではエンパシーを「自分で誰かの靴を履いてみること」と表現してる。この言葉、すごいと思う。とても易しいのだけど強烈に胸に入ってきた。

私って今まで何して生きてきたんだろう・・・・と。考えさせられる出会いだった。

(2020年1月)