自動販売機になる

 

 先日面白い言葉を目にしました。

歴史家の磯田道史さんが少年の頃、塾での勉強が嫌ですぐ抜け出すので親が理由を聞くと、「僕、自動販売機になりそうです」と。口から問題をポンと入れると、答えがコロンと出てくる、「こんなのしちゃいけない」と訴えたそうです。それを聞いた父親は「ほら見ろ、子どものほうが賢いがな」と応じたことで、知りたいことを調べる道楽としての勉強の道が開けた。という記事です。

少年のころの磯田さんが、こんなにも自分の学びに対し正直で純粋な思いに溢れていたことにはっとさせられます。自分の10代の頃を思い返してみて、自ら知りたいと思うことがどれだけあっただろう?と。目の前にある覚えなきゃならないこと、正解を出さなければならないことで頭がいっぱいだったように思います。そしてそんな自分に全く疑問がなかったと思うのです。

そして今、私も10代の子どもの親になり、自分の子が磯田少年のような言葉を言ったらなんと答えるだろう。

磯田さんの父親のように受け止めることができるだろうか?

「言いたいことは良くわかる、言っていることは正しいよ。でも今は我慢してやるべきことなんだよ。」と平然と言うでしょうね。情けないことに・・・全く残念な親です。

(2024年5月)


息子のバイト考察

 

 この春大学生になった息子は某人気コーヒーチェーン店でバイトを始めることになった。そもそもコーヒーを飲みたくて店に足を運ぶことはこれまでなかったと思うのだけど、そこでバイトをすると女子にモテるとか、就職するときに何かセールスポイントになるなどとどこからか聞きつけて面接を受けた。案の定「コーヒーは好きですか?」と店長さんにコーヒーを勧められながら第一声で聞かれ、さっきまで高校生だった息子は口の利き方も拙く「嫌いです」と答え、笑われたそうだ。家に帰って「こんなんじゃ面接で落とされるね、そもそも何でコーヒー好きじゃないのに働こうと思ったんだろう」と、しばし反省。

一週間後ラッキーなことに採用のお知らせが来た。本人も周りもびっくりだ。友達にはうらやましがられ「お前、顔で通ったんだろ・・」なんて言われた。(この子はうまい具合に東洋と西洋がミックスした容姿に成長した。)

さて、研修の身でアルバイトに行くうちに息子は、働く人もお客さんも一人一人を尊重するこの企業の考え方の素晴らしさを家で語り始めた。初めての経験できっと純粋にそう感じられたのだろう。ところが回数を重ねていくうちに、仕事であまりに覚えることが多くて大変だー大学の授業もやることいっぱいあって、バイトどころじゃない・・と弱音を言い始めた。え?始めたばっかりじゃん、何言ってんの?と、こちらは知らん顔。そのうち、「なんでバイトがしんどいか分かった。マスクしているからだ。」この店舗は病院内なのでマスクをするのは義務。「コミュニケーションが取りにくい。そのせいで気分が晴れないんだ。」と自分のモヤモヤに気が付いたように言った。一件落着なのかと思っていた。が、思い出したように彼の小言続く。初めに抱いた期待と違う現実に当たると、いちいち立ち止まっているようだ。

先日は「なんであそこで働く人ってこのお店が大好き!っていう高めの温度なんだ?そこまでする必要がある?ちょっと宗教みたい・・」と言い出した。彼の周りはほとんど大人の女性、皆さんいろんなところに気が回り快活に一生懸命働いているのだと想像する。そして当然コーヒー好きでしょう。

ある日のバイト帰り「今日は楽しかったよ。二つ年上の男の先輩が働いていて、この人すごいの。休憩用のドリンクを選ぶとき、あれは不味い、これも不味い、と言ってなかなか決めないの。その間、副店長はすごい顔でずっと睨んでるの。勤務中おしゃべりして注意も受けてるし」「でもあのくらいでちゃんと務まるんだな、ああいう男子がいてホッとしたよ。」

この先輩といろんな言葉を交わすうちに心がほどけたようだ。

社会のいろいろな人の中でこうして自分なりに折り合いをつけて生きていくんだ。謙虚な気持ちを忘れず、頑張れ。

(2024年4月)


バッハと弁当作り

 

 私の朝は慌ただしく朝食の用意と高校生の弁当作りで始まる。目覚まし時計を止めたら何も考えず布団から体を起こし眼鏡をかけて、ほとんど頭がボーっとしたまま階段を降りたら明かりをつけてキッチンに立つ。不思議なのは頭が全然動き出していなくても身体はちゃんと食事の用意のために動くのだ。高校生一人目が早く家を出るため、時間との勝負。手際よく作ったら、できたものをプレートに並べたり弁当箱へ詰めるまで一気に集中できる。もちろんこの子が体調が良いのか、機嫌が良のいか、朝ごはんを食べる様子からさりげなく観察することは怠らない。

 

 来月に本番があるので地道にピアノに向かっている。今回は暗譜が怖いのを承知でバッハの小品を選んだ。バッハのクリスマスオラトリオを聴きながら年末年始キッチンに立っていたら、この音楽に自分が入りたいという思いがどんどん強くなり、そうは言ってもこんな大曲にコーラスの一員として加わるチャンスだってないしな・・そんなこんなで身近にある平均律クララヴィ―ア曲集を弾き始めた。

どうやらバッハを弾くほどに、朝の弁当作りのような日常のひとつひとつが尊いと感じてくる。今年はバッハの音楽が語りかけてくるものをゆっくり探訪する一年にしたいなあ思う。

(2024年2月)