指導者より

80年前の出来事、そして今

 

 今朝、たまった新聞を開いたら、ふと目に留まったのはドラフト1位で指名を受けた高校生の記事。

日本ハムから1位の指名された選手が、学ランに野球帽をかぶりまぶしい笑みで映る写真が載っていた。

1位指名を受けた高校生4人のうち3人が甲子園の出場経験がなく、全国的に無名の存在ながら地道に鍛え上げ、憧れの舞台にたどり着いたという。

私はこの夏、たまたま娘の高校の野球応援に行ったのを機に、すっかり高校生の野球のファンになってしまった。だからこういう記事を見ると「お!!」と嬉しくなる。

 紙面の上の方へ目を移すとそこには、戦後80年へ「特攻の記憶」という大きな記事があった。なんとなく字ずらを追うと、80年前の1944年10月25日、日本軍の神風特攻隊が米艦に初めて組織的に攻撃をした日だという。当時23歳で特攻に出撃した青年が書き溜めた日誌の一部が紹介されていた。

そこには、出撃の前に、生きることへ執着の本能を自ら否定するような言葉、立派な死に方をすることこそが名誉なのだと自らを奮い立たせる言葉が続く。この青年は1945年4月6日知覧から沖縄へ向けて特攻出撃して戦死した。既に戦況が厳しかったにもかかわらず、当時の日本を率いる指導者が間違った判断を重ね嘘もいっぱいついた結果、市民一人一人の命が理不尽に絶たれた。当たり前のように・・

更に、自らを省みず1945年6月にも「国民義勇戦闘隊」という15~60歳の男性、17~40歳女性で編入できる義勇兵役法を施行していたということも初めて知った。これほどまで無能な政府であったにも関わらず、国民が何を信じて身を挺して戦おうとしていたのか。その当時の日本人と80年たった今を生きる日本人はどこか違うのかな。

そんな思いが残った。

(2024年10月)


プロフィール

  石井 プピ あかね

 

 東京学芸大学 特別教科教員養成課程(D類)音楽科 ピアノ専修 卒業

 

 卒業後、 埼玉県立高校にて音楽の非常勤講師を8年間勤める。

また合唱団のピアニストとして国内外で多数コンサートに出演。

ピアノ教室を自宅(埼玉県)にて10年間主宰する。

 

        ☆☆☆☆☆

 2017年よりピアノア・ラ・メゾンピアノ教室を主宰。(現・東京都府中市)

 

 女声合唱「ありす」「リヴァーブ」の指揮者。

 

 合唱指揮を大谷研二、 

ピアノを東由輝子、小池ちとせ両氏に師事。

 

 

フランス人の夫、大学生の息子、高校生の娘の4人家族。

 

 

 

 

すきなもの・・・ビール